それは後悔以外の何ものでもありませんでした。【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

< 今朝のフォーラムソラ語録>

それは後悔以外の何ものでもありませんでした。

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

●あと一週間の命。
そう宣告されて初めて、「死」というものが現実の重みをもって私の心に追ってきました。
●そのときに最初に考えたのは、荼毘に付される、つまりこの体が焼かれてしまうのかというこ
とでした。死んでしまえば意識はなくなるとわかっているのですが、それでも焼かれるというの
は熱くないのかなとか、灰になるんだな、というようなことがとても気になるのです。

●意識はあるのにべッドの上で身動きすらできず、ただ死の訪れを待っているだけの自分。よく、死の間際に走馬灯のように自分の一生を再体験するといいますが、私の場合は逆で、現在から少しずつ過去に向かって記憶が甦っていきました。
●自分の過去を振り返ると、忘れていた気持ちを当時のままに思い出していきます。自分はこういうことをやりたかったんだ、ああいうところにも行きたかった———-そういう思いが、それこそ津波のように心に押し寄せてくるのです。それは後悔以外の何ものでもありませんでした。
●あれもしたかった、これもしたかった、いくら後悔しても、私に残された時間はあと一週間なのです。しかも、まともに動くことはおろか、話すことすらできない。それは肉体の痛み以上につらい、精神の激痛でした。
●死が迫ってきたときのもう一つの苦しみは、死に対する恐怖でした。自分が死ぬということのいたたまれなさ、すべてが消えてなくなるということに対する恐怖。後悔と恐怖が、メビウスの輪のように表裏一体となって、途切れることなく繰り返し頭の中を回りました。(P71-72)

<わたしの読書メモ>
 
「もしも、あなたの命が一週間しかなかったら、あなたは何をしたいですか?」
「選んだこと、それがあなたの本心です」
自己啓発や成功哲学では、よくこんな質問が出されます。
この場合、元気な一週間を前提に話が進みますが、木内さんの場合はちょっと違ってました。
「体が動かず、精神もずたずた、だけど聴覚と思考だけは冴えている。」
そんな状態でした。
若干21歳の青年にとって、それはあまりにも酷な状況、神様のいたずらだったのではないでしょうか?まだまだ、満足に生きていない。楽しい人生はこれからだ。そもそも死ぬなんて考えたこともない。
そんな心境で死の宣告を受けた一週間は、想像を絶する葛藤があったことはいうまでも無いでしょう。言葉にすることのできない恐怖、苦痛と後悔にさいなまれたはずです。
常々、木内さんと接し話をしていると、あることに気付きます。
それは、いまを全力投球で生き抜いているということです。
死の狭間で体得した「命の尊さ」、「今を生きる」、「やったね”と最後に言える生き方」
この事を伝える時、木内さんに妥協はありません。
たとえ、一人に対しても、百人に対しても、同じエネルギーでメッセージを訴えます。
たとえ、一回目でも、百回目でも、同じ口調で気付きを伝えます。
常に全力投球で人々に訴えている姿に、木内さんがそのとき置かれた状況や、そこでの学びの深さを感じとることができるのです。
私も十数年に渡り、木内さんと付き合って来ましたが、その変わらぬ姿勢には敬服するばかりです。
「心に刻んだことを貫く!」
つまり
「継続することの重要性」
このことを木内さんの姿から日々学ぶことができるのです。

あと一週間の命。【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

あと一週間の命。

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

●夜が明けたとき、七二キロあった私の体重は、信じがたいことに四二キロにまで激減していました。極度の脱水状態で生きているのが不思議なほどでした。臓器の機能が低下し、たった一夜でとてもではありませんが手術に耐えることなどできない体になり果てていたのです。

 

●昨日の激痛とは違う倦怠感をともなう痛みが全身を包み込んでいました。ただべッドの上に寝ているだけなのに、痛みに耐えられず、意識もとぎれとぎれにしかありません。手術どころか動かすのも危ない状態になってしまったため、医師も点滴をする以外に手の施しようがありません。私はただ苦しみにさいなまれながらそれからの数日間を過ごしました。こんな状態になっても、まだ私が息絶えないのが、医師たちにとっては不思議だったそうです。

 

●一夜にして四二キロまで減った体重は、その後も減りつづけ、数日後に両親が面会に来てくれたときには、私だということがわからないほどに痩せこけてしまっていました。

 

●最初の一週間、私は際限なく繰り返される痛みの波に、地獄の責め苦のような苦しみを味わいつづげました。しかし、それが過ぎると、痛みを感じる感覚までもが麻痺しはじめ、朦朧とした時間を過ごすことが多くなっていきました。そうなると意識が戻っていても、視力はほとんどなく、しゃべる力もありません。ただ、耳だけが異様に研ぎ澄まされていたのです。

 

●そんな私の耳に、廊下で両親に病状を説明している医師の声が、まるで耳元で話しているかのようにはっきりと聞こえていました。

 

●「残念ですが、おたくの息子さんはもってあと一週間でしょう。腸閉塞を起こしていることは確かですが、このようなケースはこれまでに症例もなく、検査も充分にできない状態なので、病名は分かりません。いえるのは、今の状態で検査をすれば、確実に死ぬということだけです」

 

●-----あと一週間の命。
(P70-71)

 

<わたしの読書メモ>
 
木内さんにそれがやってきたのは1976年3月のことでした。
当時の木内さんは宇宙飛行士になりたい夢を抱き、航空自衛隊に入隊していました。

 

木内さん22歳。
ディスパッチャー(飛行管理)という仕事についていた時、ミグ25という当時のソビエトの最新鋭ジェット戦闘機の亡命事件があったため、その対応策に追われて、丸二昼夜睡眠をとっていなかったそうです。

 

その非常に重い、神経をすり減らす業務のすえ、木内さんの腹部に激痛が襲い、そのまま東京医科大病院に搬送されてしまいました。

 

一日で体重が72キロから42キロに変化したといわれても、極端すぎてなかなか想像できませんが、それほどの脱水症状を伴うトラブルとは、とにかく言葉で表現などできないものだったはずです。

 

木内さんは講演の時もよく言われますが、意識が朦朧とする中でも、耳だけは異常に研ぎ澄まされているのだそうです。

 

ですから、病で身を伏せている方の近くで話す時は、最善の注意を払う必要があります。

 

この時、木内さんは両親と医師の会話を聞いてしまいました。
「あと一週間の命。」

 

死に向けてのカウントダウンが始まりました。
体も身動きが取れず、意志も朦朧とした中で、ただただ時が過ぎていきます。

 

おそらくこの時、人生について、命について、そして家族について、愛について、木内さんはさまざまなことを考えさせられたのではないでしょうか。

 

普段木内さんと接すると、その心の大きさや深さ、ゆとりや広さを強く感じます。
それは、全てを知りつくした、微動だにしない、大海原のようでもあり、また大宇宙のようでもある独特な心地よい雰囲気なのです。

 

木内さんがいつも皆さんに発する人生観。
それは「今を生きる」、最後に「やったね!」といって終えられる人生。
このメッセージの背景には、死の淵で体得した究極の学びが込められているのだと私は感じています。

観測会は人と心を通じ合わせ喜びを分かち合う会【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

観測会は人と心を通じ合わせ喜びを分かち合う会

【生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)】より

 

●私が中学二年生のとき、ちょうどアポロ11号の月面着陸があり、日本でも宇宙ブームが巻き起こりました。雑誌もテレビも、その話で持ちきりです。

 

●そこで天体少年だった私も今こそ本領発揮とばかりに、同好会の先輩に頼んで望遠鏡を持ってきてもらい、学校の庭で「星を見る会」を催すことにしたのです。
(中略)
●そのおじいさんは明治生まれで、小さいときから星が好きだったのですが、時代が時代ですから天文をやりたくてもやれずに過ごしてきたという方でした。

 

●「わしは生まれてからまだ一度も望遠鏡で星を見たことがないんだ。一生に一度でいいから、望遠鏡で星を見たかった」
おじいさんは、ちょっとはにかみながら私にそう語ってくれました。

 

●その日の「星を見る会」には、子供だけではなく大人もたくさん来てくれて、三百人もの人が校庭に集まりました。
人数が予想以上に多かったので、それほど長い時間星を見てもらうことはできませんでしたが、先ほどのおじいさんが望遠鏡をのぞきながら興奮している姿を見たときは本当にうれしくて、観測会を開いてよかったと心から思いました。

 

●私が大人になってからも地元で星を見る会の活動を続けたり、彗星捜索をしているときに知らない人たちをみんな受け入れていくのは、このときの喜びが原点となっているのかもしれません。

 

●私にとって観測会は、単に星を見るということだけではなく、大勢の人と心を通じ合わせ、喜びを分かち合う行為そのものなのです。(P62-64)

 

 

<わたしの読書メモ>
 
木内さんの本格的な「星を見る会」はアポロ11号の影響もあって、国民が視点や発想を地球外(宇宙)へと、広げたその時だったのでしょう。中学生のイベントに三百人が動員されたわけですから、そのにぎわいは凄まじいものだったと予想されます。

 

何より、この成功体験はその後の木内さんの活動に大きな自信を与えてたのではないでしょうか。
また、その人数もさることながら、その人々の感動する姿や、感情の現れを受け止める木内少年の感受性の高さが光っています。

 

私も主催者として、木内さんとは「星を見る会」をよく行いますが、木内さんは本当にいつも楽しそうです。初めての人にでも、子供や高齢者にでもわかり易く丹念に解説をしてくれます。

 

参加者全員が、星や宇宙といった共通のロマンに浸り興奮している姿に、木内さんは喜び感じているのでしょう。
観測会は、単に星を見つめているだけじゃなく、「各々が心を通じ合わせ、喜びを分かち合っている、価値共有の場」。観測会そんな貴重な空間だったのだと、いま改めて気付かされています。

 

今日も気付きをありがとうございました。

 

■フォーラムソラ「星を見る会」■
次回はハワイ島に行います(募集終了)。
来年は木内さんの「北八ヶ岳天文台(長野県)」にて6月6日(土)開催予定。

 

皆さんふるってご参加くださいね。

「彗星が生命のもとを運んできた」【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

「彗星が生命のもとを運んできた」

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

 

●中学生になった私は、地元の天文同好会に入会し、本格的に星の観測をするようになりました。その同好会は、地元の力メラ屋の主人を会長に一般の同士によってつくられたもので、会員にはいろいろな人がいました。

 

●先輩のなかには、きちんとしたメーカーの素晴らしい天体望遠鏡を持っている人もいました。その望遠鏡で星を見せてもらったときの感動は大変なものでした。観測方法などいろいろなことも教えてもらい、真剣に天体観測にのめり込んでいったのも、そのころからです。

 

●彗星に対する本もたくさん読みあさりました。そのなかに、「彗星が生命のもとを運んできた」というようなことを書いてあるものがあったのです。彗星の中に含まれるさまざまな成分が地球に降り注ぎ、生命体をつくり出すもとになったというのです。

 

●六歳のときに星を見て、なぜ自分はここに存在しているのか、人間とは何なんだろうという疑問をもった私にとって、この説はとても興味深いものに映りました。

 

●こうして私は星のなかでも彗星に強い興味をもつようになったのです。(P61-62)

 

 

<わたしの読書メモ>
 
木内少年の星に対する興味は失せる事がなく、さらに加速して行きました。
それは、中学生というのに一般の天文同好会に参加し、大人に交じって腕を磨く姿に現れていると思います。

 

子供のころに誰もが疑問を抱く「なぜ自分はここに存在しているのか、人間とは何なんだろう」という永遠のテーマ。私たち人類を含む生命体の本は、実は彗星がもたらしたのかも知れない。

 

そんな仮説が想像力豊かな中学生の前に飛び込んで来たわけですから、それは妄想が妄想を呼んだに違いありません。

 

「彗星が生命のもとを運んできた」

 

このことが、4つの彗星を発見。そんな大偉業を達成するという、木内さんの彗星に対するこだわりの源泉。つまり、壮大なスペクタクルであり、夢と冒険の始まりだったのでしょう。

 

木内さんとお会いすると、その人間の大きさに圧倒されます。
どんな人とも旧の食事無し友のように接します。
相手に合わせて優しく話をします。
そして、彗星のこと、生命のこと、地球環境の大切さについて、熱く語ります。

 

その姿は、常に意識が外(地球の外)にあるからなのだと思います。
私たちも、ちっぽけな社会の枠組みで考えるのをやめて、宇宙的な視点で物事を捉える。
そんな感性を養っていけば、もっと大らかにゆとりをもって、人と接し社会と接することができるのではないでしょうか?
今日のエピソードは、そんな気付きを得てくれました。ありがとうございます。

 

今日という旅を楽しもう♪
Let’s ENJOY!

月にウサギはいなかった【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

月にウサギはいなかった

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

●その日、家へ帰っても興奮さめやらぬ私は、母親にその日見た星のことを早口でまくし立てました。そして「月を見たんだげど、ウサギがいなかったんだよ」と解決しなかった疑念も口にしたのです。

 

●ここで「月にウサギはいないのよ」といわれればまだよかったのですが、私の母親はニッコリ笑って、「そう、今日はウサギがたまたま月の裏側に行っていたのね」と答えたから大変です。

 

●じゃあ、明日は表に出てくるかもしれない、そう思った私は矢も盾もたまらず、それから連日、友達を集めて月のウサギを発見すべく観測を続けたのです。ところが、いつまで観測してもウサギは一向に現れてくれません。三日月だった月がだんだんと太っていって、満月になってもウサギは現れてくれません。

 

●おかしいなと思った私は、学校の図書室で星の本の月に関する部分を読み直してみました。

 

●その本には、たしかにウサギの絵姿が描かれた月のイラストがあったと記憶していたからです。
しかし、よくよく読んでみると、月の表面の海と呼ばれている黒っぱい部分がウサギの顔の形に見
えることから、月にはウサギがすんでいるという伝説ができたと説明文に書かれていたのです。

 

●月にウサギはいないんだということを、私はそこで初めて知ったのです。
月にウサギはいない——–それはたしかにがっかりすることではありましたが、そのことで望遠鏡で星を見る楽しさ自体が色あせるということはありませんでした。

 

●最初に手作りした望遠鏡の倍率は、たしか十倍程度だったと思います。それでも土星のリング
や月のクレーターなど、肉眼では見ることができない星の世界を楽しむことはできたのですが、
観測を続けるうちにもっと倍率を高くしたい、もっと大きく星を見たいと思うようになっていきました。

 

 

<わたしの読書メモ>
 
木内さんのフォーラムを聴いていると、子供のころの不思議、それをどう捉え追及し、何を発見したか?また、どう感動したのか?
そんなことをリアルに語ってくれます。

 

自分に置き換えて考えてみると、はっきり言って全く記憶に残っていない、子供のころの冒険心。
さほど問題意識がなかったのだ・・・・ということに残念ながら気付かされてしまいます。

 

つまり、木内さんは、とても感受性が強く、素直、そして探究心旺盛、そして行動的、どれをとっても魅力的な少年だったのではないでしょうか?

 

そして、「環境が人を育てる」とは良く言ったものです。
今回のエピソードでは、お母さんの対応が素晴らしいと感じました。

 

「月にはウサギがいなかった」と告げた木内さんに、「そう、今日はウサギがたまたま月の裏側に行っていたのね」と答えています。
この優しさ、子供の夢に傷を与えない、この感覚がいまの社会や家庭には少々希薄なような気がします。

 

木内少年は、この言葉によって、さらに探究心を芽生えさせ、ウサギの有無について「裏取り」をしたわけですが、それが今度は、科学に触れるきっかけになっています。

 

私も反応力と想像力にもっとっと磨きをかけて、常にピュアに、そして感性豊かに物事に対処して行きたいとこのエピソードから学びました。

 

今日も感性豊かに一日を楽しみましょう。
Let’s ENJOY!

ハワイ島 サウスポイント“地球が丸いぞ体験”

おはようございます!

  <今朝のフォーラムソラ語録>

ハワイ島 サウスポイント“地球が丸いぞ体験”

 

【検証の旅 ハワイ島】より   今日は日曜ですが、私は朝からいよいよ迫ってきた「検証の旅・ハワイ島」の詰めをしています。 せっかくなので、今回の検証スポットの一つをご紹介。

 

「サウスポイント」、ここはハワイ語でカラエ(岬)とも呼ばれ、ハワイ州ハワイ島の最南端の岬。

かつて、ポリネシアの人々がカヌーに乗り込み、何千キロの大海原を越えてこのサウスポイントに辿り着きました。 当時のカヌーをつないだ穴をあちこちに見ることができるんです。もちろん聖地とされています。

そして、ここからの眺めは絶景!地平線が弧を画き、地球が丸いことも実感できるんですよ♪

 

『ハワイ島・神々と祈りの楽園』 検証の旅2012

 

手作り望遠鏡をのぞいて知った別世界【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 
<今朝のフォーラムソラ語録>

手作り望遠鏡をのぞいて知った別世界

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

●望遠鏡で星を見るようになったのは、小学校三年の夏のことでした。
 
●当時読んでいた学研の「こどもの科学」という雑誌に、「虫眼鏡で作る望遠鏡」という記事があったのです。
(中略)
 
●先生と一緒に学校の友達に声をかけ、観測会が実現することになりました。授業が終わったあと、いったん家へ帰り、暗くなったころに
あらためて校庭に集まって、みんなで星を見ることにしました。
 
●最初に望遠鏡で見た星は、月でした。初めて望遠鏡で見た月には、クレーターがはっきりと見えました。
 
●「すごい、すごい」「わあ大きい」「これが月?」などといいながら、みんなで月を見ているとき、一人の友達がポツンといいました。
 
●「あれ?ウサギはどこにいるのかな、うさぎがいないよ」
 
●そのころはみんな純情ですから、月にウサギがいると本気で信じていたのです。正直に告白すれば、星の本を読んでいた私でさえ月にはウサギがいると信じていました。
 
●先生はというと、私たちの反応を見ながら、ニヤニヤと笑っているだけで何もいいません。
(P55-57)
 
<わたしの読書メモ>
「こどもの科学」の付録でついてきた「虫眼鏡で作る望遠鏡」を授業中にせっせと作っていた木内さんを見つけしかった先生。
 
最終的には一番の応援団になって木内家に無かった虫眼鏡を用意してくれたり、観測会を哲だっけくれるようになりました。
 
わたしは、木内少年の星に対する思いや熱意もさることながら、子供の夢をキチンと捉え、希望に結びつけてあげた先生の対応に心をうたれました。
 
小学校三年生の子供たちが夜の校庭に集まり、「月」という、慣れ親しんではいるけど遠い存在でもある「星」の主体を、先生は目の当たりにさせてくれました。
 
子供たちが月を望遠鏡でみることで、視野やものの考え方、発想が一気に広がったのは容易に想像できます。
そして、「ウサギがいない?」ことの事実を体験からしる。これが既成概念をぶち壊す行為として、非常に重要だったと思います。
 
ニヤニヤと笑っているだけで何もいわない先生は、この結末を多分想像していたのでしょう。
子供に感動と探究心を与えるという、とても大事な役目、つまり感動体験プロデューサーとしての仕事を先生は立派になされたと思います。
 
いまの教育現場では、先生と子供、先生と保護者の問題がぎくしゃくしていて、なかなか生身の関係が作りにくい状況ですが、このような先生と生徒との関係がもっと全国で広がっていってほしいと思います。
 
そうすれば、愛情にあふれ、人を思いやり、夢を抱いた子供たちがふえてゆき、牽いては豊かな日本を形成する。そんな原動力へと繋がっていくのではないでしょうか?
 

天の川の奏でるメロディは「チェンバロ協奏曲第三番」【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 
<今朝のフォーラムソラ語録>

天の川の奏でるメロディは「チェンバロ協奏曲第三番

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より
 
●ひとりになると山は静けさに満たされます。星と私だけの世界。そんな静けさの中で星のきらめきを見つめていると、小さな星のかすかな瞬きが音になって響いてくるのを感じることがあります。特に細かい星がたくさん集まっている天の川は、実際に繊細なメロディを聞かせてくれます。
 
●実際に耳に音が聞こえるわけではありませんが、星の奏でる音が一つのメロディになって脳裏に響くのです。よく、一つの曲が耳について、何度も何度も頭の中に響くことがありますが、ちょうどあのような感じです。
 
●その美しいメロディをなんとかして他の人にも伝えたいと思っていたのですが、音楽的なセンスに乏しい私には、残念ながらその旋律を他の人に聴かせることができませんでした。たしかにすっと聞こえているのに、鼻歌にすることすらできなかったのです。
 
●ところが、たまたまCDショップの前を通りかかったときのことです。いつも私の脳裏に響いていたあの星のメロディが素晴らしい楽曲となって耳に響いたのです。ビックリした私は、すぐに店内に飛び込んで、店員さんに曲名を尋ねました。
 
●それはバッハの「チェンバロ協奏曲第三番」という、チェンバロ(ハープシーコード)を用いた楽曲でしたが、本当に驚くほど天の川が奏でるメロディとそっくりなのです。
 
●機会があれば、一度目を閉じてこの曲を聞いてみてください。きっと瞼の裏に満天の星を湛えた天の川を見ることができるでしょう。ですから私は、あの曲はバッハが星空を眺めながらそのインスピレーションを譜面にした旋律なのだと密かに信じているのです。(P53-54)
 
 
  <わたしの読書メモ>
 
初めてこの本を手にして、「星を眺めているとメロディが響きわたってくる。それも単調な音ではなく協奏曲なのだ。」と知ったとき、私は本当に驚きました。
 
はじめは、そんなバカなことはないだろう!?と思ったのですが、よくよく考えてみれば、物質には波動というものも存在します。光子や電子によってもさまざまな周波数を持ち波を発生させているわけですから、星々、星雲、銀河系といった光や物質の大集合体に耳を傾けてみれば、音を発していないわけがない。そんなふうに感じるようになりました。
 
しかし、その奏を実際に耳にしたり、脳裏に焼きつけることのできる人はめったに居ないのではないでしょうか。
 
その点で木内さんは、非常に稀有な能力の持ち主だともいえます。しかし、バッハもその奏を捉えていたことを考えると、むしろ私たち人間にはそのような能力が基本ソフトとして備わっているのだとも考えられます(譜面に落とせるかどうかはさておいて)。
 
人類が文明や科学技術を手にし、便利に暮らせば暮らすほど、本来持っていた能力をどんどん退化させてきたのではないでしょうか?
そしていつしか、そんな能力を持っていたことすら分からなくなっている・・・。
 
木内さんのように、自然に身を投じ宇宙に目を向ける。そんな大きな視点で感性を磨くことで、私たちもきっと「第六感」的な繊細な能力を甦らせることができるのだと、私は強く信じています。
 
フォーラムソラで展開する「宇宙(ソラ)の旅」もまた、このような能力を呼び起こすためのリーディングトリップなわけなのです。
 

星の下で始まった顔の見えない交流会【生き方は星空が教えてくれる

おはようございます!

 
<今朝のフォーラムソラ語録>

星の下で始まった顔の見えない交流会

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

●夜の山に来る人などほとんどいないだろうと思われるかもしれませんが、実際にはさまざまな人がやってきます。
星に興味を持っている人もいれば、そうでない人もいますが、話しかけてくる人の第一声はたいてい決まっています。
「わぁー、星がきれいだね」というのです。
 
●なかには、私が望遠鏡を空へ向けていることはわかるので、「望遠鏡で見たらよく見えるんでしょうね」と、いう人もいます。
素直に「見せて」といってくれればよいのですが、なかなかそうはいいません。近くにきているのだけれど、ちょっと遠巻きにするような感じでためらいがちにたむろしているのです。
 
●私はそういう人たちのために、いつもちょっと多めにコーヒーを持っていっていました。
カップにコーヒーを入れ、声を掛けてくれた人のところへ持っていくのです。
不思議なもので、「コーヒーでも飲みませんか」と声をかけるだけでは、たいていの人は遠慮して断ってしまいます。
でも、コーヒーの入ったカップを持っていくと、受け取って飲んでくれるのです。
カップを受け取った人は、自然と望遠鏡のそばに集まっていきます。
そしてコーヒーを飲みながら、いろいろな話をはじめるのです。
 
●深夜の山ですから、辺りは真っ暗でお互いの顔もはっきりとは見えません。
それでも話をしていくうちに、声の調子で相手が心を開いてくれたのがわかります。
(中略)
 
●ときには「あっちの空は明るいでしょ、あれは東京の街の灯りでね」などと、星の話から地球環境の話にまで発展させます。
楽しいひと時を過ごした人は、しばらくすると今度は友達や家族を連れてまたやってきます。
そうしていつの間にか私の観測ポイントは、夜の観測会のようになっていったのです。
(P44-48)
 
 
<わたしの読書メモ>
星の観測をしているときは、「一日の平均睡眠時間は四時間ほど、慢性的な肉体疲労と睡眠不足、特に冬は寒さが半端でなくて、体はもう大変!」
でも、「彗星探索にはそうした苦労を差し引いてもあまりある喜びや楽しさがあるのだ」と木内さんフォーラムソラの講演会の中でおっしゃってました。
 
その「あまりある喜びや楽しさ」の中に、このような心温まる、本当の意味での交流があるのだと思います。真っ暗闇ですから、目で見る情報ではなく、耳や、感覚、感性など、動物的な感受性を使って相手と価値共有していく。
 
その過程がいつもにはない、深い関係性を醸し出してくれるのではないでしょうか?
星の話から宇宙の話し、それがついには身近な環境問題へと展開していくとき、「地球と共に生きる」という共通のテーマと深い愛情が醸成され、場を満たしてくれるのではないでしょうか。
 
言葉では表すことのできない、素晴らしい気付きや価値を共有できる場。そんな場が、あまりある喜びや楽しさの一つでもあるのではないでしょうか。
 

イワナよろしく、後はじっと待ち伏せするだけ【生き方は星空が教えてくれる】

フォーラムソラのオブザーバー:木内鶴彦氏の著書【生き方は星空が教えてくれる】から、いま私達が感じ捉えたい感性について、学びを深めています。

<今日のフォーラムソラ語録>

イワナよろしく、後はじっと待ち伏せするだけ
【生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より】

 

●それから私は、過去に太陽系に接近した彗星すべてのデータを調べ、その動きを数値化してみまたのです。そうして自分で計算式を作ってみると、彗星の軌道には8つのパターンがあることがわかりました。こうして彗星を観測するポイントを絞り込むことができるようになったのです。

●8パターン全部の軌道をチェックするとしても、広い天空の中のわずか8か所を観測すれはよいのですから、ランダムに観測するよりもはるかに効率的です。そしてさらに、多くの彗星探索家が、自分で割り出した軌道上を追いかけるようなかたちで観測していくのに対し、私はイワナよろしく彗星がやってくるのをじっと待ち伏せすることにしたのです。

●軌道計算が間違っていなければ、そこで待っていれば遅かれ、必ず彗星を観測することができるはずだからです。

●私が最初に発見したのは、この計算式を確立してからわずか一年目のことでした。そして、それ以降、1990年7月16日の「土屋・木内彗星」、1991年1月7日の「メトカーフ・ブルーイントン彗星」、1992年9月27日の「スウィフト・タットル彗星」と、わずか3年の間にたてつづけに4つもの彗星を発見することができたのです。

●これらのうち、メトカーフ・ブルーイントン彗星とスウィフト・タットル彗星は、過去に発見されていたものですが、その後軌道を見失い行方不明になっていた彗星です。ですから、正しくは再発見ということになります。
(P36-37)

 

<わたしの読書メモ>

木内さんはイワナ釣りをしながら、

渓流の流れの中でイワナが餌に食らいつく、

独特なパターンがあることを発見しました。

 

そして、そのパターン現象は宇宙の星星の流れにも

共通性があるのでは?と仮説化し、

過去の彗星の軌道データを全て数値化してみました。

すると、8つのパターンが見えてきたのでした。

 

わたしはここに、

私たちがより魅力的な人生を手にするための、

学ぶべきアドバイスがあると思うのです。

日々の生活の中で、常に感性のアンテナをはり、

既成概念の枠にとらわれない、

モノの見方を習慣化してみる。

すると、思わぬひらめきや、自分の本当にやりたいこと、

さらには、その人の使命ともいえる、

個々に与えられた特別な役割が

見えてくるのだと思うのです。

 

木内さんのような、

専門的な知識と計算の落とし込みまでは難しにしても、

発想の機転や感性の磨きに関しては、

私たちも十分取り入れることができると思います。

 

じっくりと仮説を立てたら往左往をせず、

後はイワナ釣りのごとくじっくり待つ。

 

とかく私たちは不安や心配に支配されると、

動いてしまいがちです。

しかし、信念をもって行動しているのであれが、

むしろ動じず待つ。

大きな成果を得たいならば、

これも大事な判断の一つなのです。

 

~みなさんはどのように感じましたか~
いいね!やコメントもお待ちしています。