これは夢ではないと私に告げているようでした【生き方は星空が教えてくれる】


おはようございます!

 

< 今朝のフォーラムソラ語録>

これは夢ではないと私に告げているようでした。

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

●裸足の私には、たしかに草を踏む少し湿った感触がありました。草を踏んだときの青臭い香り
もかすかにしていました。そうした五感が、これは夢ではないと私に告げているようでした。
●しばらく立って歩いていくと、揚予江を思わせるほどの大きな川が左から右のほうへゆっくり
と流れているのに出くわしました。これが三途の川というものなのかなと思った私は、昔お年寄
りから聞いた話などを思い出しながら、船頭を捜しはじめました。
●しかし、いくら捜しても、船頭は見つかりません。それでも光源のある対岸に何とかして渡ら
なければならないと思い、川べりを調べながら歩いていると、生えているヨシとヨシの間に一艘
の木造の小舟を見つけました。朽ちかけたボロボロの小舟で、オールも何もありませんが、幸い
なことに水は漏っていません。その小舟に乗って手で水をかきながら私は対岸をめざすことにし
ました。
●ところが、水をかいてもかいても、なかなか対岸には行き着きません。腕が疲労で棒のように
なり、休んで後ろを振り返ると、やっと川幅の半分ぐらいまで来ていました。
●戻るに戻れない微妙な距離に、やはり進むしかないと、また生ぬるい川の水に腕を突っ込みます。何度か休みながら、やっとの思いで対岸にたどり着いた私は、船から這い出して、疲れきった体を岸辺に横たえました。(P79-80)

<わたしの読書メモ>
木内さんは、意識が遠のき次に意識が戻った時、なぜか暗闇を這いずりまわり、一点の光に向かって進んでいたのだそうです。
光に辿りついてみると、そこはそれほど明るい場所ではなく、一点の光源が全体を照らしている小玉電球だけの部屋といった場所です。
その空間に大河が流れていた訳ですが、それがナイル川やアマゾン川のイメージではなく、東洋的な揚子江(長江)だったのは、私たちアジア人の特徴、地域性なのか?はたまた頭の記憶プログラムなのか?興味深いところです。
なにはともあれ、その川岸での湿った感触、草の香り、そういった五感のリアルさが、「これは現実なんだぞ」といわんばかりだったようです。
また、三途の川の船頭さんは不在、船もボロボロというのも、結構興味ぶかいところです。確かに本やお年寄りの話しによると、花畑に清流の川、そして船頭さんが船を出してくれる。そんな話をよく聞きました。
私も子供心に、三途の川に煌びやかな印象を持っていましたが、現実的には仕事にならないのでしょうか?ボランティアが成り立たないのか?セルフサービスを余議なくされる閑散とした場所のようです。
ひょっとしたら、別の新しいルートがあり、トンネルや橋が開通しているのかもしれません。
冗談はさておき、自身の力でこの大河を渡たらせられたわけですが、これにはどんな意味があるのでしょうか?やはり、自立心や根性のテストなのでしょうか?
それとも、途中であきらめたり、はたまた溺れたりすると、この先のファイナルストーリーが変わるのでしょうか?
いずれにしても、木内さんは幸か不幸か自力で対岸に到着しましが、こんな場所でも自立心や努力が報われるようになっていることに驚きを覚えました。
夢よりリアルな冒険。この先の旅が楽しみです。

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