「膨大な意識」は全ての意識と繋がっている【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

< 今朝のフォーラムソラ語録>

「膨大な意識」は全ての意識と繋がっている

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

<立ち読みコーナー>
●足元には、膝丈ぐらいのチューリップによく似た花が咲ぎ乱れています。花の色は赤、黄、白、紫などさまざまで、まるでぺルシャ絨毯を敷き詰めたような美しさでした。
(中略)
●私は空を見上げたり、花園に仰向げに寝転がって深呼扱をしたりしながら坂道を下りていきました。ところが、しばらく下りていったとき、ふと見ると私の前を歩いていたはずの女性の姿が見えなくなっていたのです。
●「あれ、どうしたんだろう」
そう思ってキョロキョロと辺りを見回していたとき、私の意識は唐突に、病院のべッドの上に戻されたのです。
●現実に戻ってみると、先ほどまで丘の上を気持ちよく歩いていた私の体はピクリとも動かなくなっていました。足元の簡易べッドでは父親が仮眠をとり、母親は私のべッドの脇で点滴の落ちる様子をじっと見守っていました。
●再び私の脳裏には「死」という言葉が浮かびました。(P81-82)
 
<わたしの読書メモ>
これは、木内さんが生死をさまよっていた時の体験を伝えています。
どうやら、三途の川の付近は人間の脳プログラムに組み込まれていて、誰でも似たような体験をするようです。
(疑似的に仮死状態を作り出す実験でも、やはり同じような体験をすることが分かっています。)
「ペルシャ絨毯を敷き詰めたような美しさ」とは、陽を浴びた彩り豊かな花々が敷き詰められているのでしょう。暖かなぬくもりや光に包まれる、おそらく一般的に想像される天国的な世界。
きっと、死が怖いものではないのだ・・・・と安心感を与える為に意識が作りだした世界なのだと思います。おそらく、人間だけではなく、生きとして生きる全てのものが、同じような感覚に包まれながらその最後を遂げるように、プログラムされているのではないでしょうか?
本来なら、「ここにず~っといた」という衝動(安堵感)にかられ、死を受けいれるのでしょう。しかし、木内さんの場合は、どんな意識がそうさせるのか分かりませんが、又も肉体が魂を呼び戻しました。
現実に引き戻されると、そこには不自由な肉体と、両親の姿がありました。「死」について、さらには「今を生きる」ということについて、木内さんに何者かが問いかけているかのようです。
いったい何者なのか?時に人は「サムシンググレート」、「膨大な意識」、「宇宙意識」などとも呼びます。私は、きっと万物を創造した根源的な意識、私たち全ての意識とも繋がっている「宇宙の膨大な意識」が作用しているのではないかと考えています。
この後の木内鶴彦さんの壮大な宇宙への冒険が楽しみです。
乞うご期待!

これは夢ではないと私に告げているようでした【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

< 今朝のフォーラムソラ語録>

これは夢ではないと私に告げているようでした。

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

●裸足の私には、たしかに草を踏む少し湿った感触がありました。草を踏んだときの青臭い香り
もかすかにしていました。そうした五感が、これは夢ではないと私に告げているようでした。
●しばらく立って歩いていくと、揚予江を思わせるほどの大きな川が左から右のほうへゆっくり
と流れているのに出くわしました。これが三途の川というものなのかなと思った私は、昔お年寄
りから聞いた話などを思い出しながら、船頭を捜しはじめました。
●しかし、いくら捜しても、船頭は見つかりません。それでも光源のある対岸に何とかして渡ら
なければならないと思い、川べりを調べながら歩いていると、生えているヨシとヨシの間に一艘
の木造の小舟を見つけました。朽ちかけたボロボロの小舟で、オールも何もありませんが、幸い
なことに水は漏っていません。その小舟に乗って手で水をかきながら私は対岸をめざすことにし
ました。
●ところが、水をかいてもかいても、なかなか対岸には行き着きません。腕が疲労で棒のように
なり、休んで後ろを振り返ると、やっと川幅の半分ぐらいまで来ていました。
●戻るに戻れない微妙な距離に、やはり進むしかないと、また生ぬるい川の水に腕を突っ込みます。何度か休みながら、やっとの思いで対岸にたどり着いた私は、船から這い出して、疲れきった体を岸辺に横たえました。(P79-80)

<わたしの読書メモ>
木内さんは、意識が遠のき次に意識が戻った時、なぜか暗闇を這いずりまわり、一点の光に向かって進んでいたのだそうです。
光に辿りついてみると、そこはそれほど明るい場所ではなく、一点の光源が全体を照らしている小玉電球だけの部屋といった場所です。
その空間に大河が流れていた訳ですが、それがナイル川やアマゾン川のイメージではなく、東洋的な揚子江(長江)だったのは、私たちアジア人の特徴、地域性なのか?はたまた頭の記憶プログラムなのか?興味深いところです。
なにはともあれ、その川岸での湿った感触、草の香り、そういった五感のリアルさが、「これは現実なんだぞ」といわんばかりだったようです。
また、三途の川の船頭さんは不在、船もボロボロというのも、結構興味ぶかいところです。確かに本やお年寄りの話しによると、花畑に清流の川、そして船頭さんが船を出してくれる。そんな話をよく聞きました。
私も子供心に、三途の川に煌びやかな印象を持っていましたが、現実的には仕事にならないのでしょうか?ボランティアが成り立たないのか?セルフサービスを余議なくされる閑散とした場所のようです。
ひょっとしたら、別の新しいルートがあり、トンネルや橋が開通しているのかもしれません。
冗談はさておき、自身の力でこの大河を渡たらせられたわけですが、これにはどんな意味があるのでしょうか?やはり、自立心や根性のテストなのでしょうか?
それとも、途中であきらめたり、はたまた溺れたりすると、この先のファイナルストーリーが変わるのでしょうか?
いずれにしても、木内さんは幸か不幸か自力で対岸に到着しましが、こんな場所でも自立心や努力が報われるようになっていることに驚きを覚えました。
夢よりリアルな冒険。この先の旅が楽しみです。

意識ははっきりしてる意識不明の昏睡状態【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

< 今朝のフォーラムソラ語録>

意識ははっきりしてる意識不明の昏睡状態

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

●そのときの私は、傍目には意識不明で昏睡状態に見えるのですが、実は意識もはっきりしてい
て、父と担当医が話している内容もすべて理解していました。
●父の言葉を聞いた私の正直な感想は、「そうか、そういえば自分は何の病気で死ぬのかわかっ
ていなかったんだ」というものでした。そのときは私ももう完全に死を受け入れていたので、今
さら検査をするなどということは、思いもしていなかったのです。
●しかし、父の言葉で現実に引き戻されてみると、たしかに理由もわからずに死んでいくのも気
持ちが悪いし、検査をしてもらったほうがいいなとも思いました。結局、父の強い希望がとおり、私の検査が行われることになりました。
(中略)
●病室のべッドに戻ると、検査の疲れから私の意識は急速に薄れていきました。それでも母が姉
に今のうちに一度家へ戻って親戚に連絡をしなさいといったり、細々と葬式の準備の話をしてい
るのは聞こえていました。
●母と姉の会話を聞きながら、私の意識は遠のいていきました。
それから私は、現実とは違う不思議な世界をしばしの間旅をすることになるのです。(P76-77)

<わたしの読書メモ>
ドラマでもよく見かける病棟シーン。危篤の父を見つめる家族。意識不明の重体。昏睡状態が続く患者。そんな状態になったことがないのでわかりませんでしたが、木内さんの経験によると、実はどれもこれも意識ははっきりしているのだそうです。
その証拠として耳だけは聞こえていて、話す内容もすべて理解できている。
つまり、物質的な問題(体の機能停止)で外見にはまるで無意識であたかも死んでいるかのような状態でも、思考回路はきちんと働いているのです。
木内さんの場合、父親が医師に訴える検査希望や、母や姉の交わす葬式の段取り話などを聞いていました。
ここから学ぶべきことは、私たちは意識不明や昏睡状態の方の「近く」では、不注意や不適切な心無い発言は厳禁だということです。
特に耳は冴えわたっているわけですから、ちょっと離れた場所での会話もキャッチしていますから、ご本人の心を傷つけることのない十分な配慮が必要です。
木内さんの場合、これは一週間後の死を宣告されて、いよいよ迎えた一週間目の朝の出来事でした。ついに意識が徐々に遠のいでいく——-おそらくそれは、起きていたいのに睡魔に襲われてしまうような感覚ではないでしょうか。
しかし木内さんの場合はこれで終わりませんでした。ここからが「死後の世界」への冒険の始まりです。木内さんはある意味で超越した価値観の持ち主ですが、その根源はこの経験で得た気づきだと伺っています。
この後の冒険が「失礼ながら」楽しみです。

「無の世界が存在する可能性」は大きな希望【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

< 今朝のフォーラムソラ語録>

「無の世界が存在する可能性」は大きな希望

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

●余命一週間といわれてから四日が過ぎたころ、私はふと「死ぬってどういうことなんだろう」
という、とても根源的な疑問を抱きました。
●今、自分は死とは無になることだと決めつけているけど、本当にそうなんだろうか。もし、無
になるのだとしても、その無というのはどういうことなのだろう。無とは真っ暗なのか、それと
も真っ白なのか——–そんなことを考えているうちに、「宇宙はビッグバンによって無から生まれ
た」という言葉を思い出したのです。
●宇宙はビッグバンと呼ばれる大爆発によって「無」から生まれた。これは現在最も信糠性が
高いとされる宇宙起源説です。
●無から誕生した宇宙。その宇宙の中で星が生まれ、私たち生命体も生まれた。つまり、今のこ
の自分の意識さえも、もとをただせばビッグバンによって無から生まれたものだということがで
きるのではないか——–そう考えたのです。
●すべてが死んでしまえば、また無に戻る。私が死んでいくのほ、そういう意味での「無」の世界
なのかもしれない、と。
肚理屈だといわれれば、そのとおりでしょう。しかし、行き先がわからない「死」というものに直面していた私にとって、この「無の世界が存在する可能性」は大きな希望となっていったのです。
●それから私は、この無の世界についていろいろなことを考えました。私たち人間が生きている
のは、物質の世界です。それならば物質ではない世界があるのではないか、そしてそれこそが無
の世界ではないのだろうか、と考えたこともありました。
●いろいろと想像するうちに、気が楽になっていき、最後にほ無の世界に行くのが少し楽しみに思え
るようにさえなっていきました。死に対する恐怖から脱し、ようやく死を受け入れる心の準備ができたのです。(P73-74)
 
<わたしの読書メモ>
木内さんは本当に探究心のある方だな~と、常々感心しているのですが、こんな死の淵においても
「WHY」を見出し、それに対して仮説を立てるところは脱帽するばかりです。
私ならば、「無=黒」と既成概念でそれ以上の思考はありません。しかし、木内さんの場合といえば、「無とは真っ暗なのか、それとも真っ白なのか」を考えてしまいます。
挙句の果てには、ビッグバンのからはじまり、宇宙の起源まで想像が膨らみ、無という世界が物質
の上位に位置し、まるで意識を持っているかのような仮説を立てる。そしてついには、死を楽しみに変えてしまっています。
私たちは、物質社会、お金の社会にどっぷり漬かって生活しています。
それ自体は決して悪いことではありませんが、全てをその中で価値判断してしまっていることが問題では無いでしょうか?
誰しも、既成概念で物事を判断してしまいがちですが、こまった時には空を見上げ、宇宙を全身全霊で感じてみる。
すると、思いがけない発想やイメージが沸き起こり、目の前にあった問題がやけにちっぽけに見えたりする。
常に俯瞰から物事を見るてみる。常に一点から宇宙的に物事を捉えてみる。そんな習慣を身につけてみようと、今回の木内さんの体験を受け取ってみました。

「イエスに妻」初の文献?米研究者が解読

「イエスに妻」初の文献? 米研究者が解読
 
【ニューヨーク共同】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は18日、イエス・キリストが自身の「妻」について言及したと記されている文献が見つかったと報じた。4世紀に書かれたとみられ、キリストに妻がいた可能性を示す初の文献という。カトリック教会は、キリストは独身だったとの立場を堅持しており大きな論争を呼びそうだ。
文献を解読したハーバード大教授の歴史学者は、妻がいたことの証明にはならないと強調する一方、発見には「わくわくする」と話している。2012/09/19 10:02   【共同通信】

 

 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

——
<フォーラムソラ・メモ>

フォーラムソラでは、たびたびと登場する「イザヤ」。
そう、「イザヤ」とはイエスキリストのことですよね。
日本の剣山で最後を遂げたとされる「イザヤ」には実は妻がいた。
そして自分の宗教観を綴った羊皮紙を妻に手渡し、そっと旅立たせたという。
あの話にリアリティが増してくる今回のニュース。
~~~
来年の「宇宙(ソラ)の旅 ポルトガル」では、
まさに「イザヤ」とその妻「ナザレ」、そして託されたメッセージについて
たっぷりと検証をしてくる予定です。
検証の旅が一層盛り上がりそうな今回の発見。
今後とも目が離せませんね♪

それは後悔以外の何ものでもありませんでした。【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

< 今朝のフォーラムソラ語録>

それは後悔以外の何ものでもありませんでした。

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

●あと一週間の命。
そう宣告されて初めて、「死」というものが現実の重みをもって私の心に追ってきました。
●そのときに最初に考えたのは、荼毘に付される、つまりこの体が焼かれてしまうのかというこ
とでした。死んでしまえば意識はなくなるとわかっているのですが、それでも焼かれるというの
は熱くないのかなとか、灰になるんだな、というようなことがとても気になるのです。

●意識はあるのにべッドの上で身動きすらできず、ただ死の訪れを待っているだけの自分。よく、死の間際に走馬灯のように自分の一生を再体験するといいますが、私の場合は逆で、現在から少しずつ過去に向かって記憶が甦っていきました。
●自分の過去を振り返ると、忘れていた気持ちを当時のままに思い出していきます。自分はこういうことをやりたかったんだ、ああいうところにも行きたかった———-そういう思いが、それこそ津波のように心に押し寄せてくるのです。それは後悔以外の何ものでもありませんでした。
●あれもしたかった、これもしたかった、いくら後悔しても、私に残された時間はあと一週間なのです。しかも、まともに動くことはおろか、話すことすらできない。それは肉体の痛み以上につらい、精神の激痛でした。
●死が迫ってきたときのもう一つの苦しみは、死に対する恐怖でした。自分が死ぬということのいたたまれなさ、すべてが消えてなくなるということに対する恐怖。後悔と恐怖が、メビウスの輪のように表裏一体となって、途切れることなく繰り返し頭の中を回りました。(P71-72)

<わたしの読書メモ>
 
「もしも、あなたの命が一週間しかなかったら、あなたは何をしたいですか?」
「選んだこと、それがあなたの本心です」
自己啓発や成功哲学では、よくこんな質問が出されます。
この場合、元気な一週間を前提に話が進みますが、木内さんの場合はちょっと違ってました。
「体が動かず、精神もずたずた、だけど聴覚と思考だけは冴えている。」
そんな状態でした。
若干21歳の青年にとって、それはあまりにも酷な状況、神様のいたずらだったのではないでしょうか?まだまだ、満足に生きていない。楽しい人生はこれからだ。そもそも死ぬなんて考えたこともない。
そんな心境で死の宣告を受けた一週間は、想像を絶する葛藤があったことはいうまでも無いでしょう。言葉にすることのできない恐怖、苦痛と後悔にさいなまれたはずです。
常々、木内さんと接し話をしていると、あることに気付きます。
それは、いまを全力投球で生き抜いているということです。
死の狭間で体得した「命の尊さ」、「今を生きる」、「やったね”と最後に言える生き方」
この事を伝える時、木内さんに妥協はありません。
たとえ、一人に対しても、百人に対しても、同じエネルギーでメッセージを訴えます。
たとえ、一回目でも、百回目でも、同じ口調で気付きを伝えます。
常に全力投球で人々に訴えている姿に、木内さんがそのとき置かれた状況や、そこでの学びの深さを感じとることができるのです。
私も十数年に渡り、木内さんと付き合って来ましたが、その変わらぬ姿勢には敬服するばかりです。
「心に刻んだことを貫く!」
つまり
「継続することの重要性」
このことを木内さんの姿から日々学ぶことができるのです。

あと一週間の命。【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

あと一週間の命。

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

●夜が明けたとき、七二キロあった私の体重は、信じがたいことに四二キロにまで激減していました。極度の脱水状態で生きているのが不思議なほどでした。臓器の機能が低下し、たった一夜でとてもではありませんが手術に耐えることなどできない体になり果てていたのです。

 

●昨日の激痛とは違う倦怠感をともなう痛みが全身を包み込んでいました。ただべッドの上に寝ているだけなのに、痛みに耐えられず、意識もとぎれとぎれにしかありません。手術どころか動かすのも危ない状態になってしまったため、医師も点滴をする以外に手の施しようがありません。私はただ苦しみにさいなまれながらそれからの数日間を過ごしました。こんな状態になっても、まだ私が息絶えないのが、医師たちにとっては不思議だったそうです。

 

●一夜にして四二キロまで減った体重は、その後も減りつづけ、数日後に両親が面会に来てくれたときには、私だということがわからないほどに痩せこけてしまっていました。

 

●最初の一週間、私は際限なく繰り返される痛みの波に、地獄の責め苦のような苦しみを味わいつづげました。しかし、それが過ぎると、痛みを感じる感覚までもが麻痺しはじめ、朦朧とした時間を過ごすことが多くなっていきました。そうなると意識が戻っていても、視力はほとんどなく、しゃべる力もありません。ただ、耳だけが異様に研ぎ澄まされていたのです。

 

●そんな私の耳に、廊下で両親に病状を説明している医師の声が、まるで耳元で話しているかのようにはっきりと聞こえていました。

 

●「残念ですが、おたくの息子さんはもってあと一週間でしょう。腸閉塞を起こしていることは確かですが、このようなケースはこれまでに症例もなく、検査も充分にできない状態なので、病名は分かりません。いえるのは、今の状態で検査をすれば、確実に死ぬということだけです」

 

●-----あと一週間の命。
(P70-71)

 

<わたしの読書メモ>
 
木内さんにそれがやってきたのは1976年3月のことでした。
当時の木内さんは宇宙飛行士になりたい夢を抱き、航空自衛隊に入隊していました。

 

木内さん22歳。
ディスパッチャー(飛行管理)という仕事についていた時、ミグ25という当時のソビエトの最新鋭ジェット戦闘機の亡命事件があったため、その対応策に追われて、丸二昼夜睡眠をとっていなかったそうです。

 

その非常に重い、神経をすり減らす業務のすえ、木内さんの腹部に激痛が襲い、そのまま東京医科大病院に搬送されてしまいました。

 

一日で体重が72キロから42キロに変化したといわれても、極端すぎてなかなか想像できませんが、それほどの脱水症状を伴うトラブルとは、とにかく言葉で表現などできないものだったはずです。

 

木内さんは講演の時もよく言われますが、意識が朦朧とする中でも、耳だけは異常に研ぎ澄まされているのだそうです。

 

ですから、病で身を伏せている方の近くで話す時は、最善の注意を払う必要があります。

 

この時、木内さんは両親と医師の会話を聞いてしまいました。
「あと一週間の命。」

 

死に向けてのカウントダウンが始まりました。
体も身動きが取れず、意志も朦朧とした中で、ただただ時が過ぎていきます。

 

おそらくこの時、人生について、命について、そして家族について、愛について、木内さんはさまざまなことを考えさせられたのではないでしょうか。

 

普段木内さんと接すると、その心の大きさや深さ、ゆとりや広さを強く感じます。
それは、全てを知りつくした、微動だにしない、大海原のようでもあり、また大宇宙のようでもある独特な心地よい雰囲気なのです。

 

木内さんがいつも皆さんに発する人生観。
それは「今を生きる」、最後に「やったね!」といって終えられる人生。
このメッセージの背景には、死の淵で体得した究極の学びが込められているのだと私は感じています。

観測会は人と心を通じ合わせ喜びを分かち合う会【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

観測会は人と心を通じ合わせ喜びを分かち合う会

【生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)】より

 

●私が中学二年生のとき、ちょうどアポロ11号の月面着陸があり、日本でも宇宙ブームが巻き起こりました。雑誌もテレビも、その話で持ちきりです。

 

●そこで天体少年だった私も今こそ本領発揮とばかりに、同好会の先輩に頼んで望遠鏡を持ってきてもらい、学校の庭で「星を見る会」を催すことにしたのです。
(中略)
●そのおじいさんは明治生まれで、小さいときから星が好きだったのですが、時代が時代ですから天文をやりたくてもやれずに過ごしてきたという方でした。

 

●「わしは生まれてからまだ一度も望遠鏡で星を見たことがないんだ。一生に一度でいいから、望遠鏡で星を見たかった」
おじいさんは、ちょっとはにかみながら私にそう語ってくれました。

 

●その日の「星を見る会」には、子供だけではなく大人もたくさん来てくれて、三百人もの人が校庭に集まりました。
人数が予想以上に多かったので、それほど長い時間星を見てもらうことはできませんでしたが、先ほどのおじいさんが望遠鏡をのぞきながら興奮している姿を見たときは本当にうれしくて、観測会を開いてよかったと心から思いました。

 

●私が大人になってからも地元で星を見る会の活動を続けたり、彗星捜索をしているときに知らない人たちをみんな受け入れていくのは、このときの喜びが原点となっているのかもしれません。

 

●私にとって観測会は、単に星を見るということだけではなく、大勢の人と心を通じ合わせ、喜びを分かち合う行為そのものなのです。(P62-64)

 

 

<わたしの読書メモ>
 
木内さんの本格的な「星を見る会」はアポロ11号の影響もあって、国民が視点や発想を地球外(宇宙)へと、広げたその時だったのでしょう。中学生のイベントに三百人が動員されたわけですから、そのにぎわいは凄まじいものだったと予想されます。

 

何より、この成功体験はその後の木内さんの活動に大きな自信を与えてたのではないでしょうか。
また、その人数もさることながら、その人々の感動する姿や、感情の現れを受け止める木内少年の感受性の高さが光っています。

 

私も主催者として、木内さんとは「星を見る会」をよく行いますが、木内さんは本当にいつも楽しそうです。初めての人にでも、子供や高齢者にでもわかり易く丹念に解説をしてくれます。

 

参加者全員が、星や宇宙といった共通のロマンに浸り興奮している姿に、木内さんは喜び感じているのでしょう。
観測会は、単に星を見つめているだけじゃなく、「各々が心を通じ合わせ、喜びを分かち合っている、価値共有の場」。観測会そんな貴重な空間だったのだと、いま改めて気付かされています。

 

今日も気付きをありがとうございました。

 

■フォーラムソラ「星を見る会」■
次回はハワイ島に行います(募集終了)。
来年は木内さんの「北八ヶ岳天文台(長野県)」にて6月6日(土)開催予定。

 

皆さんふるってご参加くださいね。

「彗星が生命のもとを運んできた」【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

「彗星が生命のもとを運んできた」

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

 

●中学生になった私は、地元の天文同好会に入会し、本格的に星の観測をするようになりました。その同好会は、地元の力メラ屋の主人を会長に一般の同士によってつくられたもので、会員にはいろいろな人がいました。

 

●先輩のなかには、きちんとしたメーカーの素晴らしい天体望遠鏡を持っている人もいました。その望遠鏡で星を見せてもらったときの感動は大変なものでした。観測方法などいろいろなことも教えてもらい、真剣に天体観測にのめり込んでいったのも、そのころからです。

 

●彗星に対する本もたくさん読みあさりました。そのなかに、「彗星が生命のもとを運んできた」というようなことを書いてあるものがあったのです。彗星の中に含まれるさまざまな成分が地球に降り注ぎ、生命体をつくり出すもとになったというのです。

 

●六歳のときに星を見て、なぜ自分はここに存在しているのか、人間とは何なんだろうという疑問をもった私にとって、この説はとても興味深いものに映りました。

 

●こうして私は星のなかでも彗星に強い興味をもつようになったのです。(P61-62)

 

 

<わたしの読書メモ>
 
木内少年の星に対する興味は失せる事がなく、さらに加速して行きました。
それは、中学生というのに一般の天文同好会に参加し、大人に交じって腕を磨く姿に現れていると思います。

 

子供のころに誰もが疑問を抱く「なぜ自分はここに存在しているのか、人間とは何なんだろう」という永遠のテーマ。私たち人類を含む生命体の本は、実は彗星がもたらしたのかも知れない。

 

そんな仮説が想像力豊かな中学生の前に飛び込んで来たわけですから、それは妄想が妄想を呼んだに違いありません。

 

「彗星が生命のもとを運んできた」

 

このことが、4つの彗星を発見。そんな大偉業を達成するという、木内さんの彗星に対するこだわりの源泉。つまり、壮大なスペクタクルであり、夢と冒険の始まりだったのでしょう。

 

木内さんとお会いすると、その人間の大きさに圧倒されます。
どんな人とも旧の食事無し友のように接します。
相手に合わせて優しく話をします。
そして、彗星のこと、生命のこと、地球環境の大切さについて、熱く語ります。

 

その姿は、常に意識が外(地球の外)にあるからなのだと思います。
私たちも、ちっぽけな社会の枠組みで考えるのをやめて、宇宙的な視点で物事を捉える。
そんな感性を養っていけば、もっと大らかにゆとりをもって、人と接し社会と接することができるのではないでしょうか?
今日のエピソードは、そんな気付きを得てくれました。ありがとうございます。

 

今日という旅を楽しもう♪
Let’s ENJOY!

月にウサギはいなかった【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

月にウサギはいなかった

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

●その日、家へ帰っても興奮さめやらぬ私は、母親にその日見た星のことを早口でまくし立てました。そして「月を見たんだげど、ウサギがいなかったんだよ」と解決しなかった疑念も口にしたのです。

 

●ここで「月にウサギはいないのよ」といわれればまだよかったのですが、私の母親はニッコリ笑って、「そう、今日はウサギがたまたま月の裏側に行っていたのね」と答えたから大変です。

 

●じゃあ、明日は表に出てくるかもしれない、そう思った私は矢も盾もたまらず、それから連日、友達を集めて月のウサギを発見すべく観測を続けたのです。ところが、いつまで観測してもウサギは一向に現れてくれません。三日月だった月がだんだんと太っていって、満月になってもウサギは現れてくれません。

 

●おかしいなと思った私は、学校の図書室で星の本の月に関する部分を読み直してみました。

 

●その本には、たしかにウサギの絵姿が描かれた月のイラストがあったと記憶していたからです。
しかし、よくよく読んでみると、月の表面の海と呼ばれている黒っぱい部分がウサギの顔の形に見
えることから、月にはウサギがすんでいるという伝説ができたと説明文に書かれていたのです。

 

●月にウサギはいないんだということを、私はそこで初めて知ったのです。
月にウサギはいない——–それはたしかにがっかりすることではありましたが、そのことで望遠鏡で星を見る楽しさ自体が色あせるということはありませんでした。

 

●最初に手作りした望遠鏡の倍率は、たしか十倍程度だったと思います。それでも土星のリング
や月のクレーターなど、肉眼では見ることができない星の世界を楽しむことはできたのですが、
観測を続けるうちにもっと倍率を高くしたい、もっと大きく星を見たいと思うようになっていきました。

 

 

<わたしの読書メモ>
 
木内さんのフォーラムを聴いていると、子供のころの不思議、それをどう捉え追及し、何を発見したか?また、どう感動したのか?
そんなことをリアルに語ってくれます。

 

自分に置き換えて考えてみると、はっきり言って全く記憶に残っていない、子供のころの冒険心。
さほど問題意識がなかったのだ・・・・ということに残念ながら気付かされてしまいます。

 

つまり、木内さんは、とても感受性が強く、素直、そして探究心旺盛、そして行動的、どれをとっても魅力的な少年だったのではないでしょうか?

 

そして、「環境が人を育てる」とは良く言ったものです。
今回のエピソードでは、お母さんの対応が素晴らしいと感じました。

 

「月にはウサギがいなかった」と告げた木内さんに、「そう、今日はウサギがたまたま月の裏側に行っていたのね」と答えています。
この優しさ、子供の夢に傷を与えない、この感覚がいまの社会や家庭には少々希薄なような気がします。

 

木内少年は、この言葉によって、さらに探究心を芽生えさせ、ウサギの有無について「裏取り」をしたわけですが、それが今度は、科学に触れるきっかけになっています。

 

私も反応力と想像力にもっとっと磨きをかけて、常にピュアに、そして感性豊かに物事に対処して行きたいとこのエピソードから学びました。

 

今日も感性豊かに一日を楽しみましょう。
Let’s ENJOY!