意識は未来ビジョンにアクセスできる【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

『意識は未来ビジョンにアクセスできる』

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

<立ち読みコーナー>
●私は再び考えました。過去に行くことができたのだから、未来へいくこともできるのではないだろうかと。
●これまでは行きたいと思う場所なり、会いたいと思った人なりをイメージすればよかったのですが、未来となると具体的に思い浮かべられるような記憶もありません。そこでとりあえず「未来」ということだげを強く思ってみました。
●すると、私は畳が敷き詰められた大広間のようなところにいました。そこでは中年の男性が三十人ほどの若者を相手に、何やら話をしています。
(中略)
●私は近づいて中年の男性の顔をのぞき込んでみました。老けてはいましたが、それはたしかに私の顔でした。私は天文の話を中心に地球環境の大切さを切々と訴えていました。
●それを見た私は、漠然とした希望を抱いたのです。中年の自分が存在しているということは、もしかしたら「生き延びられるかもしれない」と思ったのです。
(P90-91)

<わたしの読書メモ>
 木内さんの好奇心は目を見張るものがあります。これは、常に興味を持って生きることの大切さを教えてくれています。肉体を離れたという、のっぴきならない状況であっても、すぐに応用を効かせ探究心を働かせるところはさすがです。
 まずは漠然と未来をイメージしたそうですが、それで意外に簡単に未来に行けたことは驚きです。しかし冷静に考えてみると、確かに自分の未来が無かったら未来をイメージしても決して行くことは出来ないのではないでしょうか。
 その意味では、未来の自分(初老の自分)を見た驚きよりも、臨死の自分に未来があることへの驚き、希望、救いを感じたのは自然だったかもしれません。
 木内さんは生還したのち、1994年10月「将来世代フォーラム」の講演という形で、このシーンを実際に体験することになるのです。
 このことは、木内さんの一連の意識の旅は、夢ではなく現実であったことを示しています。私たちは三次元の世界で生まれ一生を終えますから、時空を超えた上位次元のことはなかなかイメージできません。
 しかし、それは既成概念にとらわれていることに他ならないと私は思います。『意識は未来ビジョンにアクセスできる』のですから、たとえ三次元の民であっても、常に未来に意識を向けて希望を持って生きること。それが私たちの使命に繋がっているのではないでしょうか?そんなことを今回は考えさせられました。

意識は過去も未来も行くことができる【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

『意識は過去も未来も行くことができる』

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

<立ち読みコーナー>
●そうです、私は考えるだけで空間を瞬時に移動することができるようになっていたのです。
●戸惑いながらも「俺は大丈夫だから」といい残し、私は兄の体から出ました。 兄の体を出て、病室に戻ったものの、私の体は相変わらずの状態でした。
●医師や看護婦さんたちが一生懸命蘇生処置をとってくれているのを見ているだけで、自分では どうすることもできないのです。そこに横たわっているのはたしかに私の肉体なのですが、何をされても何も感じない。それは自分と非常によく似た他人の体を見ているような、不思議な感覚 でした。
●私は、どうすることもできない自分の肉体のことよりも、この不思議な現象のほうに興味をそそられるようになっていきました。強く思うだけで空間を自由に飛び越えることができる。それも瞬間的に移動できるのです。何度かそうしたことを体験しているうちに、好奇心が頭をもたげてきました。
●今の自分は肉体をもたない、いわば意識だけの存在だ。もしかしたら意識だけの存在になると空間や時間の制約を受けなくなるのかもしれない。もしそうならば、過去や未来にも行くこともできるかもしれない、そう考えたのです。
●私は迷うことなく、自分が六歳のときのある夏の日をイメージしました。(P86-87)

<わたしの読書メモ>
 木内さんと常日ごろお話していて感じるところ。それは強烈な洞察力です。
 フォーラムソラの定例会では、政治、経済、国際情勢、精神、宇宙、科学や物理・・・と、さまざまな質問が木内さんに投げかけられますが、その都度ほとんど完璧に “わかりやすく” 答えてくれます。
 感化されるのをあえて避けるために、参考文献など他の書籍から情報を入手することはないそうなのですが、日々の生活や、おかれた環境、世界観を統合して語られる意見には、オリジナリティーと独特の説得力にあふれていています。
 さて、今回は木内さんが意識の大冒険に繰り出す、まさにその瞬間の様子です。木内さんは、自分に良く似た体(自分の肉体)よりも、 空間を瞬時に移動できる今の自分の状況に興味を抱いています。
 こんな状況でも、「なぜ?」に対する興味は尽きることがありません。同じ時間を移動できるのなら、過去や未来も行けるはず? と仮定してしまうところが、木内さんならではでないでしょうか?
 何万光年という時空を超えた天体に没頭していた木内さんだからこそ、過去や未来という縦軸方向の移動まで考えついたのだと思います。
 この意欲的な行動のおかげで、私たちは現在、過去の出来事や未来の予測を木内さんの体験を通して知ることができるのです。
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■木内鶴彦と行く「宇宙(ソラ)の旅 ハワイ島」報告会

2012月10月28日(日)14:00~16:50
港区立勤労福祉会館にて
→問合せはこちらから←

意識と肉体は異なった2つの自分自身【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

『意識と肉体は異なった2つの自分自身』

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

<立ち読みコーナー>
●トックン、トックンと脈打っていた拍動がクッと止まったのが自分でもはっきりとわかりました。「あっ、心臓が止まった」 その後「息ができない」と感じているのですが、痛みも苦しみもありません。母の顔が私に近づき、体を揺さぶりながら「死んじやった!」といっているのもはっぎりと聞いていました。
(中略)
●「俺はここにいるのに、どうしてべッドの上にも俺がいるんだ!」
目に映った情景が理解できず、私は完全にパニック状態に陥っていました。自分自身の意識が連続してあるため、自分は生きているのだと思っていたのです。
●しかし、呼べど叫べど父は私の声に反応しません。耳元で叫んでみようと、父に近づいていくと、突然、私の視線がべッドに横たわる自分の体をとらえました。辺りを見ようとしても視線が動きません。おかしいな、と思ったとき、先ほどまでは見えなかった鼻っ柱が視界の中にありました。
●そこでやっと気づきました。私は父親の肉体に入り込み、父の目を通して見ていたのです。このまま父の体にいてはいけない、そう思った私はもう一度「俺は生きている」といって父の肉体から出ました。
●そうしている間に、看護婦さんが病室に駆け込んできました。看護婦さんは父に病室の外に出るようにというと、すぐにべッドの上の私の体にまたがり、心臓マッサージと人工呼扱を始めます。他の看護婦さんも次々と駆けつけ、酸素ボンべをつけたりさまざまな処置をしていきます。
●私はそれらを何とも不思議な気持ちで見つめていたのです。(P83-85)

<わたしの読書メモ>
 木内さんは、三途の川のあたりの旅から帰ったわけですが、そのタイミングでは体がキチンと機能していました。しかし、危篤状態であるわけですから、先ほどまでの自由が全て失われる現実と再度向き合う時の辛さは、言葉に言い表せないものなのでしょう。
 死を覚悟し、せめて病名だけでも確認したい。その思いが体を動かしましたが、しかしそれとは裏腹についに心臓が停止してしまいました。
 そして、ここが肉体から意識への「個」のスイッチング・ポイントです。息が出来なくても苦しくない。横たわる自分を見つめる家族が見える。さらには、父の体に取り着いてしまう意識としての自分自身。
 木内さんの場合、「このままではいけない」と思いお父さんから抜け出たから良かったものの、現生への執着が強すぎると、このまま居座ってしまうこともあるそうです。
 そんな事故を防ぐためにも、脳プログラムは心地よい臨死体験を用意し、死に対する恐怖を取り除き、安心感を与えるようになっているのではないでしょうか。
 さて、フォーラムソラ・定例会で、このシーンについて木内さんに質問を投げかけてみました。
お父さんの体の中で「俺は生きている!」と叫んだ時、お父さんはどんな感じだったのか?と聞いてみました。すると、お父さんは頭のどこかで「俺は生きている」という木内さんの声を聞いたのだそうです。
 その後、自分の「肉体」に処置が施される様子を自分の「意識」で見ていた訳ですが、これは肉体と精神(意識)が別のものであることを物語っています。
 私たちは日頃、物理的(肉体)な面だけで物事を捉えようとしていますが、精神的(意識)な面をもっと意識し、判断や行動を取るべきではないでしょうか?
 そうすれば、「もっと相手の立場になったり、他の生き物や地球環境の事を思いやった言動を選択できる。」と私は確信しています。

「膨大な意識」は全ての意識と繋がっている【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

< 今朝のフォーラムソラ語録>

「膨大な意識」は全ての意識と繋がっている

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

<立ち読みコーナー>
●足元には、膝丈ぐらいのチューリップによく似た花が咲ぎ乱れています。花の色は赤、黄、白、紫などさまざまで、まるでぺルシャ絨毯を敷き詰めたような美しさでした。
(中略)
●私は空を見上げたり、花園に仰向げに寝転がって深呼扱をしたりしながら坂道を下りていきました。ところが、しばらく下りていったとき、ふと見ると私の前を歩いていたはずの女性の姿が見えなくなっていたのです。
●「あれ、どうしたんだろう」
そう思ってキョロキョロと辺りを見回していたとき、私の意識は唐突に、病院のべッドの上に戻されたのです。
●現実に戻ってみると、先ほどまで丘の上を気持ちよく歩いていた私の体はピクリとも動かなくなっていました。足元の簡易べッドでは父親が仮眠をとり、母親は私のべッドの脇で点滴の落ちる様子をじっと見守っていました。
●再び私の脳裏には「死」という言葉が浮かびました。(P81-82)
 
<わたしの読書メモ>
これは、木内さんが生死をさまよっていた時の体験を伝えています。
どうやら、三途の川の付近は人間の脳プログラムに組み込まれていて、誰でも似たような体験をするようです。
(疑似的に仮死状態を作り出す実験でも、やはり同じような体験をすることが分かっています。)
「ペルシャ絨毯を敷き詰めたような美しさ」とは、陽を浴びた彩り豊かな花々が敷き詰められているのでしょう。暖かなぬくもりや光に包まれる、おそらく一般的に想像される天国的な世界。
きっと、死が怖いものではないのだ・・・・と安心感を与える為に意識が作りだした世界なのだと思います。おそらく、人間だけではなく、生きとして生きる全てのものが、同じような感覚に包まれながらその最後を遂げるように、プログラムされているのではないでしょうか?
本来なら、「ここにず~っといた」という衝動(安堵感)にかられ、死を受けいれるのでしょう。しかし、木内さんの場合は、どんな意識がそうさせるのか分かりませんが、又も肉体が魂を呼び戻しました。
現実に引き戻されると、そこには不自由な肉体と、両親の姿がありました。「死」について、さらには「今を生きる」ということについて、木内さんに何者かが問いかけているかのようです。
いったい何者なのか?時に人は「サムシンググレート」、「膨大な意識」、「宇宙意識」などとも呼びます。私は、きっと万物を創造した根源的な意識、私たち全ての意識とも繋がっている「宇宙の膨大な意識」が作用しているのではないかと考えています。
この後の木内鶴彦さんの壮大な宇宙への冒険が楽しみです。
乞うご期待!

これは夢ではないと私に告げているようでした【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

< 今朝のフォーラムソラ語録>

これは夢ではないと私に告げているようでした。

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

●裸足の私には、たしかに草を踏む少し湿った感触がありました。草を踏んだときの青臭い香り
もかすかにしていました。そうした五感が、これは夢ではないと私に告げているようでした。
●しばらく立って歩いていくと、揚予江を思わせるほどの大きな川が左から右のほうへゆっくり
と流れているのに出くわしました。これが三途の川というものなのかなと思った私は、昔お年寄
りから聞いた話などを思い出しながら、船頭を捜しはじめました。
●しかし、いくら捜しても、船頭は見つかりません。それでも光源のある対岸に何とかして渡ら
なければならないと思い、川べりを調べながら歩いていると、生えているヨシとヨシの間に一艘
の木造の小舟を見つけました。朽ちかけたボロボロの小舟で、オールも何もありませんが、幸い
なことに水は漏っていません。その小舟に乗って手で水をかきながら私は対岸をめざすことにし
ました。
●ところが、水をかいてもかいても、なかなか対岸には行き着きません。腕が疲労で棒のように
なり、休んで後ろを振り返ると、やっと川幅の半分ぐらいまで来ていました。
●戻るに戻れない微妙な距離に、やはり進むしかないと、また生ぬるい川の水に腕を突っ込みます。何度か休みながら、やっとの思いで対岸にたどり着いた私は、船から這い出して、疲れきった体を岸辺に横たえました。(P79-80)

<わたしの読書メモ>
木内さんは、意識が遠のき次に意識が戻った時、なぜか暗闇を這いずりまわり、一点の光に向かって進んでいたのだそうです。
光に辿りついてみると、そこはそれほど明るい場所ではなく、一点の光源が全体を照らしている小玉電球だけの部屋といった場所です。
その空間に大河が流れていた訳ですが、それがナイル川やアマゾン川のイメージではなく、東洋的な揚子江(長江)だったのは、私たちアジア人の特徴、地域性なのか?はたまた頭の記憶プログラムなのか?興味深いところです。
なにはともあれ、その川岸での湿った感触、草の香り、そういった五感のリアルさが、「これは現実なんだぞ」といわんばかりだったようです。
また、三途の川の船頭さんは不在、船もボロボロというのも、結構興味ぶかいところです。確かに本やお年寄りの話しによると、花畑に清流の川、そして船頭さんが船を出してくれる。そんな話をよく聞きました。
私も子供心に、三途の川に煌びやかな印象を持っていましたが、現実的には仕事にならないのでしょうか?ボランティアが成り立たないのか?セルフサービスを余議なくされる閑散とした場所のようです。
ひょっとしたら、別の新しいルートがあり、トンネルや橋が開通しているのかもしれません。
冗談はさておき、自身の力でこの大河を渡たらせられたわけですが、これにはどんな意味があるのでしょうか?やはり、自立心や根性のテストなのでしょうか?
それとも、途中であきらめたり、はたまた溺れたりすると、この先のファイナルストーリーが変わるのでしょうか?
いずれにしても、木内さんは幸か不幸か自力で対岸に到着しましが、こんな場所でも自立心や努力が報われるようになっていることに驚きを覚えました。
夢よりリアルな冒険。この先の旅が楽しみです。

意識ははっきりしてる意識不明の昏睡状態【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

< 今朝のフォーラムソラ語録>

意識ははっきりしてる意識不明の昏睡状態

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

●そのときの私は、傍目には意識不明で昏睡状態に見えるのですが、実は意識もはっきりしてい
て、父と担当医が話している内容もすべて理解していました。
●父の言葉を聞いた私の正直な感想は、「そうか、そういえば自分は何の病気で死ぬのかわかっ
ていなかったんだ」というものでした。そのときは私ももう完全に死を受け入れていたので、今
さら検査をするなどということは、思いもしていなかったのです。
●しかし、父の言葉で現実に引き戻されてみると、たしかに理由もわからずに死んでいくのも気
持ちが悪いし、検査をしてもらったほうがいいなとも思いました。結局、父の強い希望がとおり、私の検査が行われることになりました。
(中略)
●病室のべッドに戻ると、検査の疲れから私の意識は急速に薄れていきました。それでも母が姉
に今のうちに一度家へ戻って親戚に連絡をしなさいといったり、細々と葬式の準備の話をしてい
るのは聞こえていました。
●母と姉の会話を聞きながら、私の意識は遠のいていきました。
それから私は、現実とは違う不思議な世界をしばしの間旅をすることになるのです。(P76-77)

<わたしの読書メモ>
ドラマでもよく見かける病棟シーン。危篤の父を見つめる家族。意識不明の重体。昏睡状態が続く患者。そんな状態になったことがないのでわかりませんでしたが、木内さんの経験によると、実はどれもこれも意識ははっきりしているのだそうです。
その証拠として耳だけは聞こえていて、話す内容もすべて理解できている。
つまり、物質的な問題(体の機能停止)で外見にはまるで無意識であたかも死んでいるかのような状態でも、思考回路はきちんと働いているのです。
木内さんの場合、父親が医師に訴える検査希望や、母や姉の交わす葬式の段取り話などを聞いていました。
ここから学ぶべきことは、私たちは意識不明や昏睡状態の方の「近く」では、不注意や不適切な心無い発言は厳禁だということです。
特に耳は冴えわたっているわけですから、ちょっと離れた場所での会話もキャッチしていますから、ご本人の心を傷つけることのない十分な配慮が必要です。
木内さんの場合、これは一週間後の死を宣告されて、いよいよ迎えた一週間目の朝の出来事でした。ついに意識が徐々に遠のいでいく——-おそらくそれは、起きていたいのに睡魔に襲われてしまうような感覚ではないでしょうか。
しかし木内さんの場合はこれで終わりませんでした。ここからが「死後の世界」への冒険の始まりです。木内さんはある意味で超越した価値観の持ち主ですが、その根源はこの経験で得た気づきだと伺っています。
この後の冒険が「失礼ながら」楽しみです。

「無の世界が存在する可能性」は大きな希望【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

< 今朝のフォーラムソラ語録>

「無の世界が存在する可能性」は大きな希望

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

●余命一週間といわれてから四日が過ぎたころ、私はふと「死ぬってどういうことなんだろう」
という、とても根源的な疑問を抱きました。
●今、自分は死とは無になることだと決めつけているけど、本当にそうなんだろうか。もし、無
になるのだとしても、その無というのはどういうことなのだろう。無とは真っ暗なのか、それと
も真っ白なのか——–そんなことを考えているうちに、「宇宙はビッグバンによって無から生まれ
た」という言葉を思い出したのです。
●宇宙はビッグバンと呼ばれる大爆発によって「無」から生まれた。これは現在最も信糠性が
高いとされる宇宙起源説です。
●無から誕生した宇宙。その宇宙の中で星が生まれ、私たち生命体も生まれた。つまり、今のこ
の自分の意識さえも、もとをただせばビッグバンによって無から生まれたものだということがで
きるのではないか——–そう考えたのです。
●すべてが死んでしまえば、また無に戻る。私が死んでいくのほ、そういう意味での「無」の世界
なのかもしれない、と。
肚理屈だといわれれば、そのとおりでしょう。しかし、行き先がわからない「死」というものに直面していた私にとって、この「無の世界が存在する可能性」は大きな希望となっていったのです。
●それから私は、この無の世界についていろいろなことを考えました。私たち人間が生きている
のは、物質の世界です。それならば物質ではない世界があるのではないか、そしてそれこそが無
の世界ではないのだろうか、と考えたこともありました。
●いろいろと想像するうちに、気が楽になっていき、最後にほ無の世界に行くのが少し楽しみに思え
るようにさえなっていきました。死に対する恐怖から脱し、ようやく死を受け入れる心の準備ができたのです。(P73-74)
 
<わたしの読書メモ>
木内さんは本当に探究心のある方だな~と、常々感心しているのですが、こんな死の淵においても
「WHY」を見出し、それに対して仮説を立てるところは脱帽するばかりです。
私ならば、「無=黒」と既成概念でそれ以上の思考はありません。しかし、木内さんの場合といえば、「無とは真っ暗なのか、それとも真っ白なのか」を考えてしまいます。
挙句の果てには、ビッグバンのからはじまり、宇宙の起源まで想像が膨らみ、無という世界が物質
の上位に位置し、まるで意識を持っているかのような仮説を立てる。そしてついには、死を楽しみに変えてしまっています。
私たちは、物質社会、お金の社会にどっぷり漬かって生活しています。
それ自体は決して悪いことではありませんが、全てをその中で価値判断してしまっていることが問題では無いでしょうか?
誰しも、既成概念で物事を判断してしまいがちですが、こまった時には空を見上げ、宇宙を全身全霊で感じてみる。
すると、思いがけない発想やイメージが沸き起こり、目の前にあった問題がやけにちっぽけに見えたりする。
常に俯瞰から物事を見るてみる。常に一点から宇宙的に物事を捉えてみる。そんな習慣を身につけてみようと、今回の木内さんの体験を受け取ってみました。

それは後悔以外の何ものでもありませんでした。【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

< 今朝のフォーラムソラ語録>

それは後悔以外の何ものでもありませんでした。

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

●あと一週間の命。
そう宣告されて初めて、「死」というものが現実の重みをもって私の心に追ってきました。
●そのときに最初に考えたのは、荼毘に付される、つまりこの体が焼かれてしまうのかというこ
とでした。死んでしまえば意識はなくなるとわかっているのですが、それでも焼かれるというの
は熱くないのかなとか、灰になるんだな、というようなことがとても気になるのです。

●意識はあるのにべッドの上で身動きすらできず、ただ死の訪れを待っているだけの自分。よく、死の間際に走馬灯のように自分の一生を再体験するといいますが、私の場合は逆で、現在から少しずつ過去に向かって記憶が甦っていきました。
●自分の過去を振り返ると、忘れていた気持ちを当時のままに思い出していきます。自分はこういうことをやりたかったんだ、ああいうところにも行きたかった———-そういう思いが、それこそ津波のように心に押し寄せてくるのです。それは後悔以外の何ものでもありませんでした。
●あれもしたかった、これもしたかった、いくら後悔しても、私に残された時間はあと一週間なのです。しかも、まともに動くことはおろか、話すことすらできない。それは肉体の痛み以上につらい、精神の激痛でした。
●死が迫ってきたときのもう一つの苦しみは、死に対する恐怖でした。自分が死ぬということのいたたまれなさ、すべてが消えてなくなるということに対する恐怖。後悔と恐怖が、メビウスの輪のように表裏一体となって、途切れることなく繰り返し頭の中を回りました。(P71-72)

<わたしの読書メモ>
 
「もしも、あなたの命が一週間しかなかったら、あなたは何をしたいですか?」
「選んだこと、それがあなたの本心です」
自己啓発や成功哲学では、よくこんな質問が出されます。
この場合、元気な一週間を前提に話が進みますが、木内さんの場合はちょっと違ってました。
「体が動かず、精神もずたずた、だけど聴覚と思考だけは冴えている。」
そんな状態でした。
若干21歳の青年にとって、それはあまりにも酷な状況、神様のいたずらだったのではないでしょうか?まだまだ、満足に生きていない。楽しい人生はこれからだ。そもそも死ぬなんて考えたこともない。
そんな心境で死の宣告を受けた一週間は、想像を絶する葛藤があったことはいうまでも無いでしょう。言葉にすることのできない恐怖、苦痛と後悔にさいなまれたはずです。
常々、木内さんと接し話をしていると、あることに気付きます。
それは、いまを全力投球で生き抜いているということです。
死の狭間で体得した「命の尊さ」、「今を生きる」、「やったね”と最後に言える生き方」
この事を伝える時、木内さんに妥協はありません。
たとえ、一人に対しても、百人に対しても、同じエネルギーでメッセージを訴えます。
たとえ、一回目でも、百回目でも、同じ口調で気付きを伝えます。
常に全力投球で人々に訴えている姿に、木内さんがそのとき置かれた状況や、そこでの学びの深さを感じとることができるのです。
私も十数年に渡り、木内さんと付き合って来ましたが、その変わらぬ姿勢には敬服するばかりです。
「心に刻んだことを貫く!」
つまり
「継続することの重要性」
このことを木内さんの姿から日々学ぶことができるのです。

あと一週間の命。【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

あと一週間の命。

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

●夜が明けたとき、七二キロあった私の体重は、信じがたいことに四二キロにまで激減していました。極度の脱水状態で生きているのが不思議なほどでした。臓器の機能が低下し、たった一夜でとてもではありませんが手術に耐えることなどできない体になり果てていたのです。

 

●昨日の激痛とは違う倦怠感をともなう痛みが全身を包み込んでいました。ただべッドの上に寝ているだけなのに、痛みに耐えられず、意識もとぎれとぎれにしかありません。手術どころか動かすのも危ない状態になってしまったため、医師も点滴をする以外に手の施しようがありません。私はただ苦しみにさいなまれながらそれからの数日間を過ごしました。こんな状態になっても、まだ私が息絶えないのが、医師たちにとっては不思議だったそうです。

 

●一夜にして四二キロまで減った体重は、その後も減りつづけ、数日後に両親が面会に来てくれたときには、私だということがわからないほどに痩せこけてしまっていました。

 

●最初の一週間、私は際限なく繰り返される痛みの波に、地獄の責め苦のような苦しみを味わいつづげました。しかし、それが過ぎると、痛みを感じる感覚までもが麻痺しはじめ、朦朧とした時間を過ごすことが多くなっていきました。そうなると意識が戻っていても、視力はほとんどなく、しゃべる力もありません。ただ、耳だけが異様に研ぎ澄まされていたのです。

 

●そんな私の耳に、廊下で両親に病状を説明している医師の声が、まるで耳元で話しているかのようにはっきりと聞こえていました。

 

●「残念ですが、おたくの息子さんはもってあと一週間でしょう。腸閉塞を起こしていることは確かですが、このようなケースはこれまでに症例もなく、検査も充分にできない状態なので、病名は分かりません。いえるのは、今の状態で検査をすれば、確実に死ぬということだけです」

 

●-----あと一週間の命。
(P70-71)

 

<わたしの読書メモ>
 
木内さんにそれがやってきたのは1976年3月のことでした。
当時の木内さんは宇宙飛行士になりたい夢を抱き、航空自衛隊に入隊していました。

 

木内さん22歳。
ディスパッチャー(飛行管理)という仕事についていた時、ミグ25という当時のソビエトの最新鋭ジェット戦闘機の亡命事件があったため、その対応策に追われて、丸二昼夜睡眠をとっていなかったそうです。

 

その非常に重い、神経をすり減らす業務のすえ、木内さんの腹部に激痛が襲い、そのまま東京医科大病院に搬送されてしまいました。

 

一日で体重が72キロから42キロに変化したといわれても、極端すぎてなかなか想像できませんが、それほどの脱水症状を伴うトラブルとは、とにかく言葉で表現などできないものだったはずです。

 

木内さんは講演の時もよく言われますが、意識が朦朧とする中でも、耳だけは異常に研ぎ澄まされているのだそうです。

 

ですから、病で身を伏せている方の近くで話す時は、最善の注意を払う必要があります。

 

この時、木内さんは両親と医師の会話を聞いてしまいました。
「あと一週間の命。」

 

死に向けてのカウントダウンが始まりました。
体も身動きが取れず、意志も朦朧とした中で、ただただ時が過ぎていきます。

 

おそらくこの時、人生について、命について、そして家族について、愛について、木内さんはさまざまなことを考えさせられたのではないでしょうか。

 

普段木内さんと接すると、その心の大きさや深さ、ゆとりや広さを強く感じます。
それは、全てを知りつくした、微動だにしない、大海原のようでもあり、また大宇宙のようでもある独特な心地よい雰囲気なのです。

 

木内さんがいつも皆さんに発する人生観。
それは「今を生きる」、最後に「やったね!」といって終えられる人生。
このメッセージの背景には、死の淵で体得した究極の学びが込められているのだと私は感じています。

観測会は人と心を通じ合わせ喜びを分かち合う会【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

観測会は人と心を通じ合わせ喜びを分かち合う会

【生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)】より

 

●私が中学二年生のとき、ちょうどアポロ11号の月面着陸があり、日本でも宇宙ブームが巻き起こりました。雑誌もテレビも、その話で持ちきりです。

 

●そこで天体少年だった私も今こそ本領発揮とばかりに、同好会の先輩に頼んで望遠鏡を持ってきてもらい、学校の庭で「星を見る会」を催すことにしたのです。
(中略)
●そのおじいさんは明治生まれで、小さいときから星が好きだったのですが、時代が時代ですから天文をやりたくてもやれずに過ごしてきたという方でした。

 

●「わしは生まれてからまだ一度も望遠鏡で星を見たことがないんだ。一生に一度でいいから、望遠鏡で星を見たかった」
おじいさんは、ちょっとはにかみながら私にそう語ってくれました。

 

●その日の「星を見る会」には、子供だけではなく大人もたくさん来てくれて、三百人もの人が校庭に集まりました。
人数が予想以上に多かったので、それほど長い時間星を見てもらうことはできませんでしたが、先ほどのおじいさんが望遠鏡をのぞきながら興奮している姿を見たときは本当にうれしくて、観測会を開いてよかったと心から思いました。

 

●私が大人になってからも地元で星を見る会の活動を続けたり、彗星捜索をしているときに知らない人たちをみんな受け入れていくのは、このときの喜びが原点となっているのかもしれません。

 

●私にとって観測会は、単に星を見るということだけではなく、大勢の人と心を通じ合わせ、喜びを分かち合う行為そのものなのです。(P62-64)

 

 

<わたしの読書メモ>
 
木内さんの本格的な「星を見る会」はアポロ11号の影響もあって、国民が視点や発想を地球外(宇宙)へと、広げたその時だったのでしょう。中学生のイベントに三百人が動員されたわけですから、そのにぎわいは凄まじいものだったと予想されます。

 

何より、この成功体験はその後の木内さんの活動に大きな自信を与えてたのではないでしょうか。
また、その人数もさることながら、その人々の感動する姿や、感情の現れを受け止める木内少年の感受性の高さが光っています。

 

私も主催者として、木内さんとは「星を見る会」をよく行いますが、木内さんは本当にいつも楽しそうです。初めての人にでも、子供や高齢者にでもわかり易く丹念に解説をしてくれます。

 

参加者全員が、星や宇宙といった共通のロマンに浸り興奮している姿に、木内さんは喜び感じているのでしょう。
観測会は、単に星を見つめているだけじゃなく、「各々が心を通じ合わせ、喜びを分かち合っている、価値共有の場」。観測会そんな貴重な空間だったのだと、いま改めて気付かされています。

 

今日も気付きをありがとうございました。

 

■フォーラムソラ「星を見る会」■
次回はハワイ島に行います(募集終了)。
来年は木内さんの「北八ヶ岳天文台(長野県)」にて6月6日(土)開催予定。

 

皆さんふるってご参加くださいね。